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第二章 北九州勢、一番乗り

第二章 北九州勢、一番乗り(1/5)

北九州市水道局、素早い反応

北九州市水道局の動きは素早かった。 刻々と伝えられるTV放送の被害状況から『災害時相互応援協定』の発動に至ると推測。地震発生から数時間後には独自の判断で給水用の 2 tトラック 2 台、ポリタンク搭載の 11 tトラック 1 台、さらに市職員3人が乗る公用車1台の救援隊編成を決めた。 このうち給水車は、西部管工株式会社(板橋信一氏、白水宏幸氏)と株式会社飯野工務店(濱尻一郎氏、戸次国俊氏)が担当することにし、ただちに出発の準備に取りかかった。 

神戸市水道局からは予想通り、午後1時 30 分に北九州市水道局に応援給水の依頼が届いた。『 13 大都市災害時相互応援に関する協定』(札幌市・仙台市・千葉市・東京都・川崎市・横浜市・名古屋市・京都市・大阪市・神戸市・広島市・北九州市・福岡市)に基づく要請である。 当時、水道局業務部長の高橋拓夫(現組合顧問)は北九州管工事協同組合へも直ちに協力依頼をした。そして午後6時、水道局本庁前で「北九州市応急給水隊」の出発式。
応急給水に活躍する北九州給水隊員。
神戸市民の手にはポリタンク、ペットボトル、やかんなど
(1月18日、神戸市垂水区伊川谷で)
メンバーは陸路、山陽自動車道を夜を撤して神戸に向かう。竜野西インターから先は通行止めのため国道2号に。しかし、大渋滞に巻き込まれて進めずにいたところ、交通整理に出動したパトカーが先導してくれ、 18 日午前5時に神戸市の目的地である「奥平野浄水管理事務所」に到着した。地震発生から 24 時間たたない到着であった。 神戸市水道局の職員は、九州からほぼ 11 時間かけて遠路やって来た、あまりに早い救援隊の到着に驚き、持参した1250個のポリタンクを渡した時には病院や介護老人の応援給水に役立つと大喜びをしてくれた。 近くの2自治体を除き、遠くからの救援隊は到着してなく、一昼夜かけて遠路駆けつけた応急給水隊「一番乗り」であった。

メンバーは寝る間もなく、明るくなってきた午前7時からの給水活動に参加した。担当の神戸市垂水地区に着くと給水を待つ市民が長蛇の列。ペットボトルやバケツ、ヤカン、鍋、炊飯器のジャーなどの水が入る器を手に手に、家族総出で行列をなして並び、4~5時間の給水待ちに耐えていた。 ただ、われわれの給水車の給水口は口径 20 ㎜、市民が手にするのはペットボトルが多い。口が小さくて水を注ぐのが大変であった。そこで給水車は蛇口をT型配管へ改善して市民への給水に努めた。 日ごろから給水作業に慣れた板橋氏らだが、徹夜の高速道路の運転と厳しい寒さ、浄水場と応急給水場との間のタンク給水のためのピストン運転や給水バルブの開閉作業が続き、疲労を極めた。しかし、澄んだ飲料水を待ち焦がれる多くの市民を前に、黙々と応急給水活動をその後も毎日、夜遅くまで続けた。 夜になって疲れた体を引きずって帰る時、倒壊してくすぶる家屋、焦げ臭い火災煙、埃っぽい空気に誰もが押し黙って宿舎に向かった。
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